西青山駅に行く目的ともうひとつに近鉄の転換クロスシート車両5200系に乗りたかったのです。 昭和46年(1971年)に大阪上本町発の名古屋行きの特急と賢島発大阪難波行きの特急電車同士が正面衝突した大事故(死者25名、負傷者255名)がありました。
青山トンネルは単線だった為にこのような 光景が見られた。
森永牛乳らしきものの空き瓶。 電話は深夜の時間帯にかかって来ることが多く、青山トンネルに肝試しに訪れた人が無人の電話ボックスに着信があったということを報告しています。
線路を敷けば今にも電車が走ってきそうなぐらい見事 に道筋が残されています。
関西ではほかにも近鉄の事故よりも大きな鉄道事故として1991年(平成3年)5月14日の信楽高原鐵道事故(死者42名、重軽傷者614名)がありましたが、こちらはご存じないのでしょうか? 12200系の恐怖症とおっしゃいますが、事故車両12000系2両と12200系2両の4両編成。 概要 [ ] 15時37分頃、の - (両駅は現在とは別の場所にあった)間の青山トンネル東口手前200m地点で、発行き特急114列車(・の4両編成 、主要駅停車の通称「乙特急」)が、 ATS 故障のため誤停止した。
10「近鉄大阪線列車衝突事故」という名前でなく、「青山トンネル事故」という別名で呼ばれることもあります。
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そして、この電話ボックスこそ国道165号線の青山トンネルが心霊スポットとして恐れられているいわくの場所なのだという。
5.運転手がブレーキを緩めた途端に列車が勾配を下りはじめ、 ブレーキを操作してもエアーが供給されず、ノーブレーキ状態で東青山駅を通過し暴走をはじめた。
18周辺には非常に重苦しい雰囲気が広がっています。
「近鉄大阪線列車衝突事故」の被害者数ですが、死者は25名、負傷者は227名にのぼりました。
原因究明のために現場に派遣された信号保守要員が地上子関連の検査を行ったが、故障原因が特定できなかったため、信号保守要員や東青山駅の助役が中川信号区に計測器その他を持ってくるように電話で連絡を行った。